大学からとんぼがえり

ポケモンのことについてつらつらと。

【雑記】深夜テンションで読んで下さい。

 

皆さんイカが、いえ、如何お過ごしでしょうか。お久しぶりですねゆっけです。え?レート?そうですね、今ようやくB+に上がったところで、ヤグラでの戦い方を模索…あ?ポケモンあんなクソゲーやってないですよ。

 

まあ久々に文章を書いてみたかったっていうのがありまして、筆を執った次第であります。

なんかこないだうちのきゅーぽけTLでいつものようにきっついオタクども(ぼくも)が「二次元の女の子をどうにかして三次元化したい」とかのたまってたのがきっかけだったような違うような。

まあ僕も最初は「あぁ…えりちが三次元に出てきたら一緒の高校通ってえりちが生徒会長勤める傍ら俺は会計として彼女を支えてでも近すぎる故に二人の関係は恋にならなくて卒業間際に好きな人のもとへ行く勇気の無い絢瀬の背中を俺が押すんだ…」とかしか言ってなかったんですけど。

 

そもそもですね、そういえば僕何で9人いるラブライブ!のキャラクターで絢瀬を選んだのかちょっと考えたわけですよ。というわけでちょっと絢瀬の特徴みたいなものをまとめてみましょう。はいこちら。

・金髪

・碧眼

・おっぱい大きい

・抜群のプロポーション

・おばあちゃんっ子

・美人

・ロシアのクォーター

・スペック高め

・リーダーシップある

・長女

・ポンコツ

・かしこい

・かわいい

・エリーチカ

はいまあこんなとこでしょうか。もちろんこれは彼女の魅力の一部でしかありません。今ざっと思いついたのがこれくらいでほんとに書き続けてると死ぬ寸前まで書き続けることになるので書きません。

じゃあですよ、仮にですよ、えりちを三次元化するとして、金髪で碧眼でおっぱい大きくておばあちゃんっ子で美人でロシアのクォーターでスペック高めでリーダーシップあって長女でポンコツでかしこくてかわいくてエリーチカでエトセトラでエトセトラな彼女を構成する要素を満たすことが、えりちを三次元化する条件なのか?って問題に突き当たるわけですよ。ここで言う構成要素ってのは外面だけじゃなくて内面のこともなんですけど。

 

そういえば「妖狐×僕SS」って漫画の作品読んだことありますかみなさん。

僕はアレ大好きで全巻集めてるんですけど。その5巻にこんなセリフがあります。「その人をその人と定義づけるものって何だろう 容姿? 性格 記憶 経験 地位 能力 血 運命 あるいはその全てだろうか ひとつでも違えば否定されてしまうのだろうか どの部分が合致していればその人と言える? その人を求める人にとって一番重要視される部分がそうなのだろうか」この作品における大きなテーマの一つを象徴している一連のセリフだと思うんですよねこれ。だからこそこのセリフ大好きですし印象深いんですけど。

 

また話が変わりますが、みなさんは自分の人生というか運命についてどうお考えですかね。これ前きゅーぽけの三年で飲んだ時に話したんですよ。とある部員は「すでに一本の大きな筋は決まっていて、そこにたどりつくまでには確かに様々な道のりがあるが、最終的にはなるべくしてなるものだ」という考えでした。確かにその考えもうなずけますね。

ただ僕の考えはアレなんですよね、パラレルワールドとか、バタフライ効果を信じてるタイプのものなんですよね。例えば今僕ってこうやって文章を書いてるわけですけど、もちろん僕にはこの文章を書かないって選択肢もあったわけで、もうすでに「この文章を書いている自分」と「この文章を書かない自分」ってまったく異なる二つの可能性のうち一つを消してしまっているわけで、もう今の僕は「この文章を書かなかった自分」とは全くの別人なんですね。こんな感じで自分には様々な可能性が存在して、可能性としていろんな自分に分岐していて、今の自分っていうのはそのあらゆる可能性の分岐路のうち一つの道をあみだくじみたいに進んできた存在だと考えてるわけですよ、僕は。これはきっと僕が割とネガティブな性格してるからなんでしょうね。あの時ああすれば…って思うことがよくありますので。

 

この僕の考えをわかっていただいた上でさっきの「その人をその人と定義づけるものって何だろう」って問いの答えを探していきましょうか。僕なりの答えとしては、「その人の体験した、選んだ、持っているものの全て」だと思うんです。回りくどく言ってますけど要はその人のすべてってことですよね。身体的なことはもちろん、例えばある日は朝食にパンを食べた、二限はサボっちゃった、履いていく靴を変えた、そういう些細なことでその人は唯一性を獲得していくと思うんです。身体的な部分はほとんどが自分で選んだものではなく先天的なものだと思うんですが、内面的なものも人生の中で獲得されたものだとすれば、その人の人生における些細な決定や選択や経験が内面的なものを形成してゆくと思うんです(あるいは身体的な部分もそうなのかもしれません)。そうやって「その人」は「その人」たり得る、唯一性を得るわけだと思うんです。

 

ここまで踏まえていただいた上で、核心に立ち戻ります。つまり「金髪で碧眼でおっぱい大きくておばあちゃんっ子で美人でロシアのクォーターでスペック高めでリーダーシップあって長女でポンコツでかしこくてかわいくてエリーチカでエトセトラでエトセトラであれば、それはえりちなのか?」ということです。僕の答えはYesです。「え?じゃあ三次元でも全く同じ経験とか人生とか送らせた全くのコピーを作り出せばそれは『その人』じゃないの?」ってことになるかと思われるかもしれませんが、それについては断固Noと言いたいタイプのオタクなのです僕は。

なぜなら、三次元で生み出された全くのコピーは「自分にとっては」その人ではないと僕は考えます。僕たちはこの世界を「自分」というフィルターを通してしか認識できません。例え地球の裏側の名も顔も知らない人達であっても「自分と同じ時間軸・世界に住む」という点で唯一性を持つと思います。利己的かもしれませんが、自分以外の他人の場合、その唯一性では「自分」というフィルターが関わってきます。つまり、「その人」と全く同じコピーを作り出されたとしても「自分」にとっては「その人」ではないのです。「自分」というフィルターを通さず、全く別の世界、時間軸で作られた「その人」の記号を集めた集合体でしかないのです。

 

今からクリエイターに殺されそうなこと言いますけど、つまるところ二次元のキャラクターは記号・符号の集合体でしかないのです。そこに唯一性は無く、「自分」とは別の時間軸・世界で生み出された特徴をかき集めたものでしかないのです。極論を言いますと「絢瀬絵里と同じ金髪で碧眼でおっぱい大きくておばあちゃんっ子で美人でロシアのクォーターでスペック高めでリーダーシップあって長女でポンコツでかしこくてかわいくてエリーチカでエトセトラでエトセトラでさえあれば、『自分』にとって絢瀬絵里である必要性は無い」と考えます。僕が愛していたのは絢瀬『本人』じゃない、絢瀬の記号の集合体だ、絢瀬と同じ世界に生きることのできない僕たちには絢瀬を愛することができないんだ…。

 

だからこそ、違う世界である二次元の情報だけで二次元の女の子を三次元化したとして、それはその子本人ではないんだと僕は考えます。

 

うーーん、何を書いているのか自分でも途中からわからなくなったぞ。理論崩壊とか普通に見られると思うので気になるところありましたらご指摘の方よろしくです。

 

まあごちゃごちゃとのたまったが、絢瀬が三次元化されたらそりゃおっぱいわしわし^~したいに決まってるがな!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

神速オフに出る方々は頑張ってください。